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竹前栄治『占領戦後史』

竹前栄治『占領戦後史』

第42回 竹前栄治『占領戦後史』

 この著者の名前には、占領について調べていくと必ずつきあたる。占領研究の第一人者といっていい。
 著者自身は、自らを《処女作のテーマを追いかけて生涯を送る愚かな人》の部類に数えている。一九六〇年代なかばにアメリカ留学し、占領軍による「対日労働政策」というテーマを発見した。それを博士論文にまとめ、『アメリカ対日労働政策の研究』として刊行したのが、一九七〇年。
 その頃から、研究の材料となる公文書関係の公開も飛躍的に進み、ますますそこから脱けだせなくなった。以来、気づいてみれば、占領研究の専門家となっていたわけだ。
 《一九六〇年代後半からアメリカ側では外交文書公開の「二五年原則」に従って、対日占領に関する公文書(マル秘文書を含む)がどしどし公開された。日本側でも一九七〇年代後半からようやく被占領期の外交文書が公開されるようになった。これによって、それまで秘密のベールに包まれていたGHQの人事、組織、政策過程など日本占領の実態が次々と明るみに出てきた。憲法制定の経過、政治犯釈放、極東軍事裁判(東京法廷)、BC級戦犯裁判(横浜法廷)、農地改革、教育改革や教科書検定、二・一スト禁止や公務員法改正、検閲、レッドパージ、講和条約などに実証研究のメスが入れられはじめたのも、外交文書公開といった背景があってのことである。》

 ――以上の引用は『GHQ』から。
 研究の深化と整備の途を示すとともに、著者自身の歩みを概括する行文となっている。『GHQ』は、複雑巨大な組織を、その成立過程から追い、政策実行メカニズムの変遷をふくめ、コンパクトな記述にまとめた。占領を考えるさいの、必須の基本文献となっている。
 著者の研究は、そうした文献探索にとどまらず、「歴史をつくった」当事者たちの実像(本音)に迫る証言聞き取りにも、精力的にむかっていく。文書にはあらわれにくい陰翳を直接に関係者から質していくインタビューの試みだ。それは、『証言・日本占領史 GHQ労働課の群像』(一九八三年 岩波書店)、『日本占領 GHQ高官の証言』(一九八八年 中央公論社)の二冊に結実している。
 その著作として、最も包括的に、占領期の政治社会史を記述したものが『占領戦後史』である。初刊は一九八〇年、「対日管理政策の全容」とのサブタイトルが付されていた。ほぼ十年ごとに、新装版が刊行されている。
 敗戦をはさんで、日本社会がいかなる断絶を通過していったか。それを考えるうえで避けては通れない実証研究が、ここに示されている。
 特に注目すべきは、第三章「政治犯釈放の一〇日間」。公文書資料、会見記、尋問書、新聞報道などを駆使したドキュメンタルな再現で、研究者のものする堅苦しいスタイルを打ち破っている。
 このパーツは、まさに、内容がそれにふさわしい生輝ある「文体」を要求した実例かもしれない。コミュニストは占領軍によって解放されたが、期待されたほどには「新生日本」の希望には貢献できなかった。彼らの「占領軍=解放者」規定は、占領軍をカクメイに利用するといった思いつきの大言壮語だったのか、それとも、正味の戦略そのままだったのか。今となっては、どちらでもかまわないが、いずれにせよ、正確な判断をくだすには、本書のような研究成果が有力なヒントになるにちがいない。
 もう一点は、第七章「戦後警察改革構想」。これはGHQが使用した「民政ガイド」(もしくは、民事情報ガイド)をもとにした論考である。民政ガイドとは、現場の占領軍行政官が具体的計画や命令を作成するときのマニュアル文書。内容はもちろん、多岐にわたるが、その一点に警察制度の改革があった。正式には、「軍事占領に関連する日本警察の研究――警察制度の性格・組織・行政」。
 間接統治方式を採用した占領軍にとって、警察改革政策は、本来的な二律背反につきあたる。非民主国の日本社会を制度的に改革するためには、治安維持能力をそなえた警察力が必要だ。しかるに、警察機構とは、民主的な改革の対象にせねばならない最大の「社会勢力」でもあった。帝国軍隊を解体したように日本警察を無力化することは不可能なのだ。
 むろん、直接軍政を敷き、支配下においた警察組織に治安維持を代行させるといった方式もある。だが、その場合、警察組織の改革は望めず、警察組織はいっそう腐敗していくばかりだろう。

 占領を意図的に忘れ去るにせよ、そのすべてを花鳥風月の自然過程のごとく是認するにせよ、また、占領の「悪」のみを拡大し政策的デマゴギーを撒きちらすにせよ、事実あった出来事にわれわれの現在は規定されている。
 占領を識るすべは、残念ながら、ますます困難になっている。だが、竹前栄治(1930-2015)の著作は、その困難をゆるめる有益なガイドを提供するだろう。

 竹前の仕事には、もう一つの重要なエピソードがある。失明、視力喪失だ。
 《一九七七年、フルブライト研究員として渡米し、資料収集とGHQスタッフへのインタビューを終えて帰国すると、思いがけないことが待っていました。失明の宣告です。
  ……そして一九七八年暮れ、ついにその瞬間が訪れました。完全に暗闇に閉ざされた瞬間の悲しみと恐ろしさは、とても言葉では言い表せません》――『失明を超えて拡がる世界』
 研究に要した、おびただしいマイクロフィルムの査読が影響したのか……。あらためて著書目録をみると、主要な著作は「その後」に刊行されていることがわかる。著者自身の不屈の研鑽はもちろん、周囲の強力な支援に恵まれた結実であった。

 『占領を知るための10章』第四章の下書き (2016.11.23執筆)

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