中薗英助『私本GHQ占領秘史』

第36回 中薗英助『私本GHQ占領秘史』
この連載では、時おり、名著ならざる、あえて探し出して読むほどでもない文献の紹介も、意図的に混ぜている。今回も、その流れであることを頭の隅にとどめて読んでいただきたい。本当に「読むに値しない」かどうかは、読者の判断にゆだねる。
占領期を生きるという自覚とは、端的にいって、何だったのだろうか。――研究文献をいろいろ漁っていて、素朴な疑問にとらわれることもある。
この本を選んだのは、占領期を成人として現実に生き延びながら、占領という現実が視野から脱落していく、そのプロセスを逆照射するサンプルとして最適だと思えたからだ。著者は、敗戦時、二五歳。占領社会にあって「被占領とは無自覚に」生きた、という点では、例外的日本人ではなかったと思える。
本書は、月刊小説誌『問題小説』に一九八七年一月から九〇年一二月まで「私本・GHQ秘密資料」と銘打って連載された長々しいエッセイをまとめたもの。もっとも「秘密資料」とはお題目だけで、内実は《まことに自由な体裁の自家版占領史兼青春史》であることは、著者自身が認めている。
初刊本(1991.6)あとがきより。
《これに先立つ一九八五年、信州生まれのカナダ人外交官・歴史学者でマッカーサー元帥に深く信任されて対日占領行政に携わったハーバート・ノーマンが、GHQ内部の黒い手からいわゆるマッカーシズムへと引き渡され追いつめられて、エジプト大使当時の五七年にカイロで自殺するまでを長編小説『オリンポスの柱の蔭に』(毎日新聞社刊)で書いたとき、わたしは否応なく占領史との取っ組み合いを強いられた。そうして気づいたのは、自分には自分なりの戦後史があったけれども、占領史への視点はまったく欠けていることだった》


ノーマンは、日本についての著書もあり、占領改革にさいしても内部から関わりを持ったが、赤狩りの時代を生き延びることが出来なかった。「占領秘史」と銘打つなら、彼を主人公とした作品『オリンポスの柱の蔭に』のほうがふさわしいと思える。
著者は《占領期を記録した多数の日米両国の証言者による回想記等の外、連合国軍司令部公開公文書の情報関係シリーズ、とりわけG2のCISおよびCIC関連のマイクロフィルムから反転したコピー二千ページ以上を読んだ》と書いているが、これは『オリンポスの柱の蔭に』執筆時のリサーチ作業だったのだろう。つまり、本書は、『オリンポスの柱の蔭に』の副産物として成り立ち、自伝的エッセイをよじり合わせて「気まま」に記されていったものといえる。
著者のいう「占領史との取っ組み合い」をモチーフにした試論とは異なるわけだ。「占領史と戦後史が重ならない」という日本人の一般的なケースを実証するにとどまった。
こうした厳しい評価を下さざるをえない理由は別途にある。卑近にいえば、戦後文学者たち(ここでは、中薗英助をその末端の一人として位置づけておく)は、わたしにとって父親世代にあたる。この世代から占領体験についてあまり聞いたことがない。あまり、というか、まったく聞いた記憶がない。戦争体験については、否も応もなく、直接間接を問わず、文書であれ話しであれ、濃淡さまざま、ごく限られた伝達とはいえ、結果的に聞いてきた。けれど、同様の強さで占領という「運命」について「受信」したという記憶がないのだ。
わたしは占領期の只中に生まれているが、首都の郊外で育ったので、じっさいに進駐軍を眼にしたこともない。
だからといって、大人たちは占領という現実を「隠した」のだろうか。だとすれば、かえって興味深くもあるが、そうではないようだ。たんに大人たちは、意識野に入らない事柄について語ったり書いたりしなかった。それだけのような気もする。
占領は空気のようなものだったのか。
「空気と安全はタダと信じる日本人」らしく、激烈な社会変動を通過したわけだろうか。戦後史という視角でなら、深刻な問題意識は多々あった。ただ、それは、占領という局面とは常に別個にあったわけだ。近代日本文学の鬼っ子である戦後文学の、実存的・根底的アプローチにあっても例外ではなかった。あくまで、本土人に限定された傾向だと限定すれば、そうした結論につきあたる。
本書を読み返しつつ、わたしが気づいたのは、そのことだった。


中薗英助(1920-2002)の戦中は、良心的かつ消極的な兵役拒否者だった、と解釈している。大陸へ逃げたが、憲兵に捕まった。作品歴のすべてに、ところを得ない彷徨者といったイメージがある。本書のなかの私的な回顧パーツにも感じるが、肝心の局面ではぐらかされてしまうようなもどかしさがつきまとう。本書の、硬軟とりまぜたエッセイのスタイルも、あちこちで使いすぎているようだ。
戦後文学の末席者とは位置づけたが、成功した作品は、ドキュメンタリ・タッチのスパイ小説だった。グリーンやアンブラーなどに加え、人気を博した007シリーズなど英国スパイものが流行った(ル・カレの登場以前)刺激で「国産スパイもの」の需要がうまれ、その第一人者になったわけだ。中薗が国際スパイで行くなら、オレは産業スパイもので勝負すると梶山季之が『黒の試走車』を書いて、流行作家になる契機をつかんだ、といったエピソードもある。
相似する書き手を探すなら、堀田善衞あたりだろうか。同じく「国際派作家」などという曖昧模糊としたレッテルを貼られたことがある。堀田は、悪い意味のいわゆる「左翼小説」を連発し、気が滅入るほど退屈なスパイものも一つ書いたが、本領はエッセイにある。『インドで考えたこと』と、「美しきもの見し人は」路線の評伝『ゴヤ』が代表作だ。
中薗には、残念ながら、それにあたるものがない。『密航定期便』は、再読に値する作品だが、それを超えるものを書けるはずだと、いつも期待を持ちつづけていた。


GHQ資料室 占領を知るための名著・第36回 2017.04.18更新
(2016.11.16執筆)
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