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思想の科学研究会編『共同研究 日本占領』

思想の科学研究会編『共同研究 日本占領』

第28回 思想の科学研究会編『共同研究 日本占領』

 『共同研究 日本占領』は、市民運動サークル思想の科学研究会による共同研究の結実である。アカデミズムによらず、在野のアマチュア市民研究者たちの共同作業として成立した。戦後民主主義が正当に機能していた時代だからこそ可能だった書物だ。
 占領研究というテーマは、一九六六年頃に提起され、同会としては『転向』『明治維新』につづく、三点目のビッグ・イシューとなる。刊行は一九七二年。包括的な占領研究書としては、早い時期の労作といえる。 
 同会は、月刊サークル誌『思想の科学』の刊行を軸に活動し、思想的には、社会民主主義からコミュニズムまでゆるやかに抱合していた。政治的には、ベ平連の活動と併走し、脱走米兵支援運動にも、部分的なコミットを果たしていた。全体の理念を明確にするといった組織体ではないが、あえて概括するなら、その社会思想的位置は、戦後民主主義の只中に身を置きながら、その自覚を基に戦後民主主義の限界と可能性を進行形に検証・分析するところにあった。その意味で、同会の頂点をなす大きな仕事は『転向』だった。それは、安保闘争をはさんで、非共産党左翼による変革思想をいかに鍛えあげるか、という実践的課題とも不可分に結びついていた。
 それはまた、同会を代表する思想家鶴見俊輔による対話集『語りつぐ戦後史』(一九七〇)などの、テーマを共有する多くの周辺書を持っている。
 本書もその流れにあるものだが、テーマの拡大に応じて研究メンバーが豊富化したわけではない。むしろ、小規模ながら、粘り強く研究を持続していった印象である。中心は、佃実夫久米茂など、比較的無名に近い研究者だった。

思想の科学研究会編『共同研究 日本占領』 徳間書店 1972.12


 個人的にいうなら、本書は、占領研究というテーマをひらいてくれた「最初の書物」として記憶されていた。と同時に、かなりの不満を感じたことも事実だった。読み直してみて、その不満が何であったか確認できたが、要するに、占領社会の全体像への通路がよく示されていない、ということだ。
 筆者たちも認めるように、本書には、農地改革、財閥解体といった占領期の重要項目をレポートできていない。「占領とは、われわれ日本人にとっていかなる体験だったのか」というテーマは前面に出ても、この時代の政治社会史の全体的な動向に迫るまでには到らなかった。その点、『転向』に特有だった社会思想史のダイナミックなレベルを期待したわたしは、少なからぬ不満をおぼえたのだろう。

 本書は、形式としては個々の筆者の裁量にまかせ、多様な記述スタイルを集めている。研究論文風、レポート、聞き書き、論考、体験談、インタビューなど。総論的なものより、やはり各論的な文書に特徴があり、かつ精彩を放っている。
 隠蔽された米兵による暴力事件の記録を掘り起こした佃実夫「ヨコハマからの証言」「占領下の軍事裁判」などが貴重である。
 また、本土と沖縄への良心的な関心が一貫しているところも、本書の収穫といえるだろう。久米茂「徳田球一論」は、占領下共産党を象徴する指導者だった徳田を過大評価しすぎているにしろ、彼の「沖縄独立論」が帯びる、時代を超えた深い意味を考えさせる。大野明男「『日の丸復帰』から『異族の論理』」は、本土復帰とともに、さらに完璧に消去されようとする「沖縄占領」の現状を警告する。

 ただし、旧植民地朝鮮への視点は、まったく充分とはいえず、「日本占領」研究というテーマの一国性(非歴史性)を、本書も露呈するにとどまった。
 呉林俊〈オ・リムジュン〉「日本占領と朝鮮人」が異彩を放っている。だが、この文章は(この文章のみ)孤立していて、本書のなかで対応物を持っていない。場違いではないかというような感想すらもたらせる。
 呉林俊がその早すぎる死の少し前に書いたこの文章は、一語一語がトゲとなって日本語を読む読者の魂を痛撃してくる。呉林俊が日本人にみる《とりもなおさず占領軍には屈服しながら、呼応すらしながらも、その息づく根元にやどってびくともしない、一貫した朝鮮人蔑視の感情》。それがどこから来るのか問わないでは済まされない、と呉林俊は書いているが、その詰問は、彼がそれを記した四十数年前よりも、現在、かえって激しく日本人と朝鮮人とを引き裂いているのだ。


 元も子もない言い方をすれば、本書の、共同研究の最大の功績は、呉林俊のこの一篇に発表の場を提供したところにあるのかもしれない、と思うことがある。だが、翻って考えれば、呉林俊の主張を受け止めることによって「日本占領研究」というテーマは、基本的な枠組みを壊されてしまうだろう。彼の投じた一石は、いまだに応えられないまま、彷徨っている、というしかない。

 この項つづく。次回に……。

GHQ資料室 占領を知るための名著・第28回 201612.15更新

『占領を知るための10章』第七章下書き (2016.10.23執筆)

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