『清算されない昭和 朝鮮人強制連行の記録』林えいだい
第23回 『清算されない昭和 朝鮮人強制連行の記録』林えいだい
ジャーナリスト林えいだい(1933-2017)の著作の多くは、朝鮮人強制連行に関する膨大な聞き書きによって構成されている。その途が平坦でなかったことは、想像に余りある。
苦労して取材対象を捜しあてても、彼らの心をひらかせ、言葉を語らせることは容易ではない。「日本人なにしに来た。忘れてしまいたい事実を掘りだして、こちらの傷口をかき乱す権利がオマエなどにあるのか」——被害を受けた者がぶつける恨みが、一方的に著者に叩きつけられる。
これは、林えいだいの著作の基幹的な情景といってもいい。何度となく繰り返される。
『筑豊坑夫塚』(1978年)では、炭鉱内の落盤事故で下半身の自由を喪った坑夫長の、三五年の闘病が語られる。彼の口から「真実」を引き出すまで、数年を要した。本が出来上がる前に、その当人は故人となった。
そこでは後景にすぎなかった朝鮮人強制連行のテーマが『強制連行・強制労働 筑豊朝鮮人坑夫の記録』一冊にまとまるには、さらに、数年を要した。
ここで、著者は、上野英信、石牟礼道子、森崎和江らの、九州在住の記録文学者の列に新たな名を刻んだのである。
『朝鮮海峡 深くて暗い歴史』(1988年)は、拉致同様に強制連行され、炭鉱に徴用された鄭正模の一代記。鄭は炭鉱を脱走し、他の徴用現場から同胞を救出する「地下運動」に関わる。だが、逮捕され、拷問を受け、同志は取り調べ中に絶命していった。
戦後、鄭は故郷にもどるが、さらに残酷な現実に直面させられる。家族は、鄭が強制連行されたという事実を知らされていなかった。のみならず、その事実を「恥」として隠そうとすらした。祖国と家族のもとに居場所を見つけられなかった鄭は、日本に還り、在日の一人となった。やがて、指紋押捺拒否闘争に立ち上がり、林の著作に出会うことになる。
にわかには信じがたいような波乱の物語だが、記録者があって初めて後世に残しえた証言なのだ。
以降、著者は、『消された朝鮮人強制連行の記録 関釜連絡船と火床の坑夫たち』(1989年)、『証言・樺太朝鮮人虐殺事件』、『死者への手紙 海底炭鉱の朝鮮人坑夫たち』、『松代地下大本営 証言が明かす朝鮮人強制連行の記録』(以上、1992年)、『地図にないアリラン峠 強制連行の足跡をたどる旅』、『妻たちの強制連行 残された妻たちからの聞き書き』(以上、1994年)、『朝鮮人皇軍兵士 ニューギニア戦の特別志願兵』、『忘れられた朝鮮人皇軍兵士 シベリア脱走記』(以上、1995年)などを刊行していく。
1990.9 岩波書店
著者の踏査する地図は拡がる一方である。筑豊に基点を置き、朝鮮、長野県松代、サハリン、ニューギニア、シベリア……。旧大日本帝国の版図が逆踏査され、そこに植民地人の犠牲の痕が「再現」されてくる。これらを通読するだけでも疲労困憊におちいるが、独力でやりぬいた著者のエネルギーには驚嘆せざるをえない。
中から一冊だけ選ぶとすれば、「グラフィック・レポート」と銘打たれた『清算されない昭和 朝鮮人強制連行の記録』(1990年)が最適だろう。六百余枚の写真を主体に、短い解説文を付した体裁だが、著者の二十年余の(この時点での)調査行の成果がよく示されている。なお、著者は、これが、中間的な暫定的レポートであると強調している。
1990.9 岩波書店
どれもが中間報告であっても、代表作を、『消された朝鮮人強制連行の記録 関釜連絡船と火床の坑夫たち』とするのに異論は出ないだろう。六十三名の聞き書きからなり、七百ページを超える大冊である。著者によれば、インタビューは三百数十名におよんだというから、五分の四の証言はは活字にならなかった計算になる。
叙述は一貫して揺ぎないが、悪くいえば、単調におちいるところもある。
清算されない昭和は清算されない平成へと、そのまま引き継がれ、国際社会システムのグローバリゼーション化も相まって、歴史の忘却と逆流はますます激しい。虚構に依りかかる歴史修正主義は、「植民地主義の罪過」をわれわれの脳裏から消し去ろうとしている。
著者の記録は古びてしまったのだろうか。朝鮮人強制連行は日本人自身の問題である、という著者の一貫した主張は、すでに「時代遅れ」なのだろうか。
否。
否である。
林えいだいの書いた「愚直な物語」は、再度、いや、何度でも蘇ってこなければならない。
次回も、その著書から『松代地下大本営 証言が明かす朝鮮人強制連行の記録』を紹介したい。
GHQ資料室 占領を知るための名著・第23回 2016.10.01更新
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