『めぐりあうものたちの群像』青木深

第20回 『めぐりあうものたちの群像 戦後日本の米軍基地と音楽1945-1958』
青木深
本書は、サブタイトルにあるように、占領期の音楽的側面史である。占領がもたらせた「人的交流」を音楽を中心として調査し、音楽などの芸能に限定した米軍将兵の経験(もしくは、影響)を明らかにするものだ。
それにしても、膨大な研究成果だ。
二段組でびっしりと並ぶ本文(おびただしい量の注記は、さらに細かい活字だ)が、600ページ。
著者は、調査に7年、そのインタビュー取材者は150名を超え、さらに、執筆に3年かかった、という。研究開始は世紀の変わり目だったから、取材対象の年齢を考えれば、ぎりぎりのリミットだった、と感慨される。

青木深 大月書店 2013年3月
もともと学術論文なので、決して読みやすくない。まるで辞書のような本文を救っているのは、書物としてのヴィジュアルなつくりだ。地図などの図版も豊富である。かつて日本本土を占拠していた基地の地図をはじめ、主要都市の市街図が貴重だ。そこには、基地だけでなく、将兵たちの通ったジャズクラブやキャバレーなどが記録されている。
戦後日本音楽へのアメリカの圧倒的な影響。これは、常識的事柄のようではあるが、具体的な「個人の群像」の証言によって、それを再構成する試みは、少数の肉声によるものはあったとしても、これだけの規模で収集されたのは、本書をもって嚆矢とするだろう。
少しばかりの読みにくさに、不平をもらすべきではない。
さて、著者は、戦後史研究、アメリカ研究、ポピュラー音楽研究のみにとどまらず、文化人類学、哲学および文学、そして美術・映像・演劇を横断する文化論的アプローチなどをあわせた総合的文化史をめざした、と抱負を語っている。
何より、文化人類学の先達として、鶴見良行と山口昌男の名をあげたところに、著者の野心もこめられていたのだろう。
記述される本文の内容にそって読者が体験するかもしれない「感動」を、著者は「時間/瞬間をともにする呼応」と、なかば期待をこめて規定している。これは、序文だけではなく、本文途中にも、何度か強調されている本書の基本姿勢だ。タイトルにある「めぐりあう」というキーワードの楽観性も、ここに根ざしている。
逆に、これを著者の押しつけがましさと感じる読者は、本書と「めぐりあう」ことに失敗するだろう。
こうしたスタンスには、当然「戦争と占領の広範な被害と影響を一面化する」おそれがある、といった批判が予想される。著者も充分にそのことを意識化し、本文注釈でも、たびたび言及されることになる。だが、注釈がふくらむほど、読者がわずらわしく感じることも否定できないのだ。
つまり、占領体験を現場の「加害者」将兵から聞き取るとすれば、たとえ断片であっても、別の取材アプローチを選ばなければならない。本書の方向で、それを包括できないことは、最初から自明だったろう。
本書は、量的に膨大な学術的論文の書籍化としてよりも、材料を取捨選択した(適宜な長さの)読み物として書かれるほうが望ましかった。そのほうが、著者の望む「時間/瞬間」の共有は、濃密に訪れてきたはずだ。
GHQ資料室 占領を知るための名著・第20回
2016.08.15更新
コメントを送信