『舞台・ベルリン 占領下のドイツ日記』ルート・アンドレーアス=フリードリッヒ
第17回 『舞台・ベルリン 占領下のドイツ日記』ルート・アンドレーアス=フリードリッヒ
日本とドイツ。敗戦国の戦後は、比較されることの多い事例だ。とはいえ、ドイツ占領の実態は、あまり知られていない。本書は、それをなまなましく伝える数少ない証言である。
1945年4月29日から始まり、46、47、48年末までの日記だ。著者は、当時40代のジャーナリスト女性。政治意識は高く、批判精神も旺盛だ。
ここで語られる数かずのトピック…。
食糧統制、飢餓、ナチ狩り、ソ連軍兵士たちによるレイプ、厳寒による凍死者の続出、狂乱的インフレ、通貨の混乱。
ナチ狩りは、ユダヤ人狩りの「陰画」のように横行する。国民の二割は党員だった社会が転覆し、「自分はナチではなかった」という人物証明を求める輩が群れをなした。
解放軍であったはずのソ連の兵士がもたらせた強姦。その被害者たちが執拗に回数をいいたてることを、著者は関心をもつ。戦争によって男の人口がアンバランスに減少してしまった国で――。それは「異常な愛のかたち」だとまで、著者は書くのだ。
これを一例とするように、戦後はまず収拾のつかない混乱だった。ヒトラーという共通の敵にたいしては可能だった「連合」は完璧に過去のものになる。各陣営は相反する世界観をますます先鋭化していく。社会民主党員としてこうした様相を整理していく著者の記述は、かつてのワイマール民主主義時代を想起させるものがある。
マッタク何モ変ワッテイナイ。
だが、これこそまさに、戦後の出発点だったのだ。
彼女がハンブルグで見聞した異様なエピソード(47年2月)は、忘れられないものだ。イギリスの占領下にあったこの都市では、ナチ党員がまだ勢力を維持していたという。その一人が広言した。――アメ公が4月に来て「われわれの原爆」を横取りし、8月にそれをジャップ共に二発落としたんだ、と。
その男の歪んだ脳内においては、「偉大な総統」は新型爆弾の発明に成功していたのだ。驚くのは、こうした妄想が、占領下においてまだ野放しにされていたことだ。
本書を通読しつつ、さらに読み終わっても、なお想念を去らない感慨がある。これは、後代に来た者による気楽な「審判」なのだろうか。そんな気もするが、ともかく、書きつけておこう。
――なぜ、このように知的で健全な市民がナチスの台頭を許してしまったのか。そして、阻止できず、許しつづけてしまったのか。
その答えは、本書じたいにはない。
ある意味、その答えは、本書の前編をなす『ベルリン地下組織 反ナチ地下抵抗運動の記録』にふくまれているだろう。
次回は、その前編について紹介のページをさこう。
GHQ資料室 占領を知るための名著・第17回 2016.07.01更新
『北米探偵小説論21』2020 「独逸探偵小説の反転」D・3・1・2(581-584p)に転用
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