『ハイファに戻って』ガッサン・カナファーニ
第12回 『ハイファに戻って』ガッサン・カナファーニ
占領期を、戦後日本の特殊なケースとは切り離し、二〇世紀中盤の世界史的普遍のひとつの事例として考察しようとするなら、視野を拡げ、いくつかの基本的文献に目を向けてみる必要がある。
ガッサン・カナファーニの短編小説『ハイファに戻って』は、そのなかでも、とりわけ根源的な問いかけを発しつづける作品だ。たんに、パレスチナ文学を代表するのみならず、二〇世紀世界文学のいわば「古典」たる位置をしめる。かくも永きにわたって既成事実化しつづけるイスラエル国家の「領土戦争」。西欧帝国主義の最後の「落とし子」としての傀儡ユダヤ人による「聖地奪還戦争」。その本質を、カナファーニは、追放されたアラブ人の眼から洞察してみせた。
物語は、一九六八年、パレスチナ人の中年夫婦サイードとソフィアが、二十年ぶりにハイファを訪れるところから始まる。逐われた故郷への想いは入り乱れる。〈わたしはハイファを知っている、だが、この町はわたしを忘れたという〉。一九四八年四月、彼らは軍隊に逐われて、命からがら、この町を去った。乳呑み子だった息子ハルドゥンを残したまま——。彼らはその後、男の子と女の子をもうけるが、置き去りにした長男を忘れることはできない。再訪が望ましい選択なのかどうか——夫婦の心理的葛藤はじょじょに明らかになっていく。
彼らは、かつて住んだ家を訪れる。ほとんど変わっていなかった。そこに住む初老のユダヤ婦人ミリアムが、しごく友好的に、彼らを迎えた(作者は、彼女の父親をアウシュヴィッツの犠牲者と指定している)。そして、彼ら夫婦を次に待つのは、生き別れになった息子との「再会」だった。彼らは、故国を逐われるさいに、アラブ人の子供の死体が薪かなにかのよう捨てられるのを目撃した。その光景が目に焼きつき、自分たちの子供が生きているという希望はいだけなかった。その息子との「再会」がかなったのだ。
だが、夫婦が直面させられたのは、もっと過酷な運命だった。
彼らの前に現われたのは、二十歳の、ドウフという名の、ユダヤ人として育てられた青年だった。イスラエルの軍服に身をかため、乳呑み子の自分を置き去りにした両親を冷ややかに見下す男だった。
——これが『ハイファに戻って』の基幹的なドラマ構造だ。父と母と息子、息子と育ての母。四人は、同じ土地に現存し、時間をともにしながら、絶対的に相容れない敵対的世界に所属している。彼らは、それぞれが置かれた状況を何とか理解しようと試みる。自分たちを囲む人間の条件について、折り合いのつく答えを必死にまさぐる。
息子は「人間とはそれ自身、問題をはらんだ存在だ」と問いかけ、その点についてだけは、父親も同意する。彼らは、父子であることを、お互いに、感情のうえでも言葉のうえでもみとめようとしない。凝縮されたシチュエーションは、ときおり舞台劇のような様式性をおびる。しかし、進行するのは、家族の悲劇とは、およそ対極にある歴史の証言だ。
乳呑み子を置き去りにして逐われる若夫婦を造型することによって、作者は、ひとつの歴史的事実を浮かびあがらせる。イギリスの黙認によるイスラエル軍の電撃的軍事侵攻という事実を——。この軍事的占領に、何かの正当性がひとかけらでもあったのだろうか。作者は(図式的とすら感じられる)力強いドラマ構造によって、読者に問いかけている。そして、占領は一時的なものではなかった。作品世界の現在時(一九六八年)にあっても、そのことは自明だった。
そのように、占領者は居座った。「聖地」への「再入植」。第二次大戦後の戦勝国列強による帝国主義的領土再分配。以降の半世紀を超える歴史は、それを恒久化してしまった。
『ハイファに戻って』の問いかけが今なお鮮烈であるのは、このような現実の負性によっている。このドラマが陳腐にみえるような「素晴らしい世界」にわれわれは生息していない。この作品を過去のものにしない「現在」の不幸。かえって、ますますこのドラマに傷つけられるような過酷な非対称的世界に滑りおちていっている。
祖国とは、と一人物は(作者を代弁するようにも)いう。——祖国とは、このようなすべてのことが起こってはいけない場処なのだ。
《私はただ探し求めているだけだよ。私は真のパレスチナを探しているのだよ。想い出よりも孔雀の羽根よりも階段の壁の落書きよりも真実のパレスチナを》
(2009 河出書房新社)
『ハイファに戻って』の発表から数年後、パレスチナ解放闘争に連帯する日本人戦士三名が、ダッカ空港で銃撃戦を展開した。その報復テロによって、カナファーニは爆殺された。三十六歳。『ハイファに戻って』に描かれた一人物の運命をなぞるかのような戦死だった。カナファーニの文学の伸長は、個体としては、そこで断ち切られてしまった。
カナファーニの日本語で読める作品は——
『現代アラブ文学選』(1974 創樹社)「ハイファに戻って」、評論「占領下パレスティナにおける抵抗文学」奴田原睦明訳
『現代アラブ小説集7 太陽の男たち/ハイファに戻って』 太陽の男たち/悲しいオレンジの実る土地/路傍の菓子パン/盗まれたシャツ/彼岸へ/戦闘の時/ハイファに戻って 黒田寿郎、奴田原睦明訳 (1988 河出書房新社)
『太陽の男たち/ハイファに戻って』(新装版) 太陽の男たち/悲しいオレンジの実る土地/路傍の菓子パン/盗まれたシャツ/彼岸へ/戦闘の時/ハイファに戻って 黒田寿郎、奴田原睦明訳 (2009 河出書房新社)
『太陽の男たち』は、映画化され、日本でも上映された。
参考サイト
GHQ資料室 占領を知るための名著・第12回 2016.04.04更新
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