三島由紀夫「女は占領されない」
第1回 三島由紀夫「女は占領されない」
歴史は夜(下半身で)つくられる――。
これは万古不易の真理か。
8.15の敗戦の三日後、日本政府は占領軍向けの性的慰安施設(公営)つくりを迅速果敢に決定した。一説には、これこそ戦後日本の不朽の原点だ。慰安婦問題は、常に国家権力にとって絶対の緊急事項であるらしい。
三島由紀夫の戯曲「女は占領されない」(1959年10月)は、GHQの高官と日本の上流階級の未亡人とのつかの間の「悲恋」の物語。なので、慰安施設を利用する下賤の軍人や慰安婦たち(パンパンガール)は登場しない。否定し唾棄すべき対象として、科白のはしばしに出てくるだけだ。
三島らしく、時局をスマートに取りこんだ風俗軽喜劇だが、もちろん、占領時下に発表・上演されたわけではない。
「夜のGHQ」に関する噂話は数かぎりなくあったらしい。「女は占領されない」も、そうしたゴシップに材をとっているのだろう。占領軍権力者の「愛妾」のもとに訪れる多くの請願者たち。公職追放令解除を求める者ら、タバコの密輸許可を申請する斜陽華族、選挙への強権介入をはたらきかける政治屋……。
これらのエピソードによって、たしかに、占領時代は別のイメージで見えてくるだろう。民主化の理想のもとになされていった数かずの改革を動かした「原動力」とは? それは「占領されない」女たちの領分にあったのか。
とはいえ、この戯曲のテーマに深遠な問いかけがあるわけではない。狙いは、アリストファネスの古典『女の平和』あたりにあったのだろう。《日本の政治家は、司令部に對して、もつぱら女の力をたのみにしてゐるんですつて》というのは、ヒロインの科白。
「愛妾」は群がってくる請願者たちの口利き屋となり、高官に要求を取り次ぐ。彼女のつもりでは、すべて他人のための博愛精神だ。高官はそれを受け入れ、自らの権力の絶大さに酔い痴れる。彼女の願いをききいれることは、大富豪が「ダイヤの指輪や、ミンクのコートや、キャディラック」を買ってやるのと同じだ、と放言する。
このようにして、「女は占領されない」は、占領秘史に重要な項目をつけ加える傑作とはいいがたいし、占領期に関して本質的な考察をふくむわけでもない。
ただ、ひとつ、こういう科白がある。
《占領とは何だ。占領とはつまり、自分の國の幻滅のありたけをその國へ持ち込んで、そこで幻滅のない國を夢みることだよ》
これはGHQ高官の口から発されるが、むしろ作者の生すぎる本音に聞こえる。文化帝国主義者三島の内奥の声だ。占領されている(いた)という屈辱感はふしぎと希薄なのだ。
「女は占領されない」は、1959年9月に東京・芸術座で上演された。もちろん、日本語の科白で、日本人の俳優によって演じられた。
三島由紀夫「女は占領されない」 『三島由紀夫全集』22 新潮社 1975年3月
GHQ資料室 占領を知るための名著・第1回 2015.05.20更新
(2015.05.23執筆)
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