黒い卵(完全版) 栗原貞子
第2回 黒い卵(完全版) 栗原貞子
栗原貞子(1913-2005)の「生ましめんかな」は、原民喜「水ヲ下サイ」や、峠三吉「八月六日」などとともに、最もよく知られた原爆詩だ。
いわゆる原爆文学は、戦後文学の特別な領域としてみなされやすい。文学的価値とは別個の基準をもって特権化(同じことだが、黙殺)されてきた。詩歌集『黒い卵』のこうむった言論弾圧もまた、そうした世俗的な「審判」の傷痕を残している。
『黒い卵』は、敗戦の翌年七月に、私家版として世に出た。完全版が刊行されるのは、その37年後、昭和も後期1983年のことだ。完全版には、「占領下検閲と反戦・原爆詩歌集」のサブタイトルのとおり、著者による解説が付されている。
「生ましめんかな」を掲載した『中国文化』創刊号「原子爆弾特集」は、1946年3月に発刊された。その5ヶ月後に、栗原は詩歌集『黒い卵』を自費出版する。不許可の部分に検閲局が赤線を引いたゲラ刷りを元にしたものだ。活版刷りではあるが、用紙は当時に特有の仙花紙だった。
時代を経てブランゲ・コレクションの存在が知られるようになり、1981年には、元型の『黒い卵』のコピーが著者のもとにもたらされた。
《検閲削除されていたのは、「戦争に寄せる」「戦争とは何か」「握手」の三篇、短歌は「巴里陥落、ヒットラー」十一首が全行削除され、さらに事後検閲を恐れた私の自己規制で、「原子爆弾投下の日」の終り五首と「降伏」四首を自己削除していた》
削除された詩のうち二篇は《反戦思想の色濃い作品》(戦争中に書かれ、著者はひそかに保存していた)だが、「握手」は《子どもの立場から占領軍に対する友好ムードを書いた詩である。この詩が全文削除された》。占領軍批判を意図しない詩が不許可とされた理由について、著者は「占領軍の権威主義が敗戦国の黄色いジャップの子供からの歓迎を拒否した」と書いている。
《検閲私家版『黒い卵』の中には、原爆をうたった詩、「生ましめんかな」や「再建」も入っているた(『中国文化』創刊号から再収録)。原爆をうたった短歌「原子爆弾投下の日」「悪夢」「焼跡の街」①②③も入れたが、気がかりだった原爆作品は、詩も短歌も削除されなかった。
原子爆弾の惨禍を扱った記事や作品がとくにきびしく検閲の対象となるなかで、「生ましめんかな」と「再建」が検閲の対象からはずされた理由は、これらが原爆の悲惨さの強調ではなく、原爆にもまけないで起きあがっていく人間のたくましさ、美しさを書いたためではないかと私は思っている》
事態はこのとおりだったろう。だが、著者の自己解説にはいくらかの戸惑いがある。原爆言論への徹底した統制は著者に占領軍権力の実相へのリアルな認識をもたらせたろう。だが、民主主義の宣教師だったはずのGHQから反戦詩を「抹殺」されたことについて、説得力ある回答は見つからなかったにちがいない。
『占領を知るための10章』第二章下書き (2015.05.24執筆)
GHQ資料室 占領を知るための名著・第2回 2015.08.03更新
参考
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