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出来たぞペーパーバック四冊のつづき二冊

出来たぞペーパーバック四冊のつづき二冊

更新日記 2024.09.14
出来たぞペーパーバック四冊のつづき二冊

『占領を知るための10章』
 これは、ペーパーバック版オリジナル、といってもいい。
 最初から、流通しているんだかしていないんだか、把握しにくい物件だったのを、やっと自分のものに取り返したようなものだ。
 ページ数が少ないので、カラー印刷にしてみた。ちょっと高価になってしまったが、値打ちはあると思う。


『北米探偵小説論』
 「縮刷版2006」と銘打ってみた。
 双葉文庫の「推協賞全集」シリーズが入手困難になっていたため、急遽、発奮してデジタル化を決心した次第。おれの手元にすらないのだ。
 前半のみの縮刷なので、当然というか、1970年代に書いた「初稿状態」があちこちに残存している。スコープス裁判のこととか書きながら、(なにしろ50年前のことなのだ)、その100年後の世界に自分がまだ立っていることなど想像もしなかった。

 あの1924年の、W・J・ブライアンとC・ダロウの熱戦の模様は、そのまま(?)今2024年の、「耳なし」ドナルドと「ガッハッハ」のタマラと激戦によって繰り返されている。ちがうのは、H・L・メンケンのような毒舌リポーターが出てこないところか。
 それにしても、例の狙撃事件の事後報道において、元外務省官僚のベストセラー作家が、トランプ神格化の先頭をきっているのは、驚き呆れる事態だった。何かの「情報源」から、某作家は、トランプが「もし最後の瞬間に私がアタマを動かさなかったら……弾丸は命中していた」などといった、F・フォーサイス『ジャッカルの日』の人物を気取ったような発言をしている、と書いた。そして、さらに、GOD on my side の深い信仰心に打たれた大統領候補者の内面に、神がかり的な、絶賛を恥ずかしげもなくだらだらと綴っている。
 ということは、1924年よりも、現在のほうが、ずっと闇は底知れないってことなのか。

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