15 『ラップ・シティ』
15 『ラップ・シティ』 早川書房 1995. 5

小説五作目。保険金殺人をめぐるハードボイルド。型通りに流しこんだつもりでも、ちがった匂いはするのかもしれない。
マカオのドッグレースの場面から始まっているが、このシーンは別の小説に使うつもりだった。材料を小出しにする目算は外れて、けっこう細部はふくらんでいる。主人公が幼い妹を死なせてしまうシーンは、自然と筆が流れ、計算通りに収められていて、最も気に入っている部分だ。
池内文平 ミュージックマガジン1995.9
いかにも野崎六助らしい小説である。ぼくは野崎の小説を読むのはこれがはじめてだ。読みはじめてすぐに、ひごろ彼の批評文を読んでいて感じる共感やとまどいがそっくりそのまま湧いてきて、ああ野崎六助はいつも一貫しているな、と妙に感心・得心してしまった。
モノガタリはマカオのドッグレース場からはじまる。欲望と汗とホコリっぽい感じが充満していて、これからの展開が一筋縄ではいかないゾと予感させる導入だ。案の定、調査員・鶴木がここで出合った「偶然の死」は巧妙に仕組まれた保険金殺人であった。しかもそれを仕組んだ男はすでにもうひとつの賭けに踏み出していた。テメエの生命にカネを張ったのだ。生き延びるほうにではなく、死ぬほうに……。
野崎六助はおそらくこういう男を限りなく愛しているのだろう。この男の生きざまは、野崎の好んで用いる方法(文体、スタイル)そのものである。野崎のスタイルは、テーゼふう断言のあとに更にコトバを継いで発想を飛躍させ、意識的に混沌をつくり出して、そのなかから黄金をひろいだすというものである。
これはハマれば凄いチカラを発揮する。いつの間にか遠くまで連れ去られてしまうのだ。が、ハズれると、あれれ?と思えるほど身勝手なものになってしまう。
その点、小説、殊にハードボイルドのなかに独自のスタイルを生かした野崎の今回の試みは高いレベルで成功したといえるだろう。
舞台設定もマカオ、ホンコン、ヨコハマで、これはぼく好み。このたかだか100年来のペラペラな異空間は、それだけにマガイモノの凄みを宿らせている(と思う)。そこに棲む者は、ジジジ……と不穏な音をたてる弾けたネオン管のようにイラダチを隠さない。それは野崎六助のイラダチでもあるだろう。
例えば鶴木は山下公園の労務者を一瞥してこううそぶく、「死ねば金になる。いや死ななきゃ金にならないんですよ。それも特別な仕掛けをほどこされてね」と。あるいはマカオの連絡員・康阿吉はこう叫ぶ、「ニッポン人、死体になっても傲慢だ」。
野崎六助は、守るべきもの、棄て去るもの、そして徹底して批判するものをよく自覚している。そのスタンスの一貫性もまた野崎六助らしいところだ。ひとつだけ――SEX描写の精進を望みたい。
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