『火山島』金石範
第7回 『火山島』金石範
敗戦から被占領へ。
近代日本の転回点にあって、日本人の意識構造に多大なる空白が生じたことは、あらためて強調するべくもない歴史的事実だ。
図式的にいえば、大日本帝国は、帝国主義戦勝国によって植民地を奪われた。しかし、この強奪されたという痛みは、敗戦ショックの付随項目ともいえ、これ自体が痛苦の民族体験をつくったとはいいがたい。
だが、一方、戦勝国にとって旧植民地という「戦利品」は、歓迎すべき利得だったろうか。
第二次大戦後世界の一局面とは、各地で起こった植民地解放闘争だった。アメリカの「戦利品」たる旧植民地(とりわけ朝鮮半島全域)は、かえって予期しない重荷を課すものでしかなかった。アメリカが直面したのは、解放闘争への軍事的敵対という避けてとおれない帝国主義的「任務」だった。これは、本来なら、大日本帝国が果たすべき「任務」だったが、後始末は、大日本帝国を徹底的に屈服させた戦勝国に、いわばバトンタッチされる他なかった。
この結果、戦後日本人の歴史意識からは、植民地支配の記憶が「脱落」することになる。これは、敗戦がもたらせた「歪んだ歴史観」の一つだが、軽視されてはならない歪みだろう。植民地支配の歴史的負性に向き合うことを「免除」されたのだ。
民主主義をアメリカからプレゼントされた戦後日本は、のみならず、植民地支配の清算(解放闘争との軍事的敵対)という厄介な「責務」をも肩代わりしてもらった。肩代わり、代行という事実の意味は、想像する以上に大きい。
植民地支配の歴史過程から学ぶという選択肢は、戦後日本において、きわめて希薄だった。そうである以上、かつての植民地主義、民族排外主義が昔日のごとく現在「復興」してくるのは、当然のことかもしれない。
前置きが長くなった。
20年の歳月を費やした大長編小説『火山島』の全訳韓国語版(十二巻)が、本年(2015年)刊行され、合わせて(久しく絶版だった)日本語版(全七巻)も復刊をみた。
記念シンポジウムが日韓両国で開催されたが、作者の金石範〈キム・ソッポム〉は、韓国側から入国を拒否された。
『火山島』は、長く現代史のタブーとして隠蔽されてきた「済州島事件」の全貌を描ききった小説だ。済州島〈チェジュド〉を故郷とする在日朝鮮人作家である金石範は、『火山島』の執筆中、一度も故郷への「渡航」を許されなかった。また、よく指摘されることだが、犠牲者3万以上ともいわれる「虐殺の島」の実態を伝える資料さえも、ごく限られていた。
『火山島』は、消された歴史を回復するために書かれた文学作品である。いわば歴史に代置するかのように長編小説が書き継がれた。事実は消せないし、消えもしない。作者の執念が、歴史の空白のページを埋めたのである。
マイナスの極限的な集積。それがこの大長編小説を奥底から支えている。そう考えるのなら――韓国でのシンポジウムが作者不在のまま開かれたこと(許しがたい事態ではあるが)も、『火山島』に冠されるネガティヴな「勲章」が、また一つつけ加えられた、と解するべきかもしれない。
「解放」後の南朝鮮には、4人の有力な政治リーダーがいた。コミュニストの朴憲永は北へ渡り、後に粛清された。民族主義者の呂運了、金九は、ともに暗殺された。結果として、権力についたのは、最も右翼の李承晩だった。
済州島は、朝鮮全域からみて「辺境」に位置する。『火山島』に頻出するのも、半島本土を指す「陸地(ユッチ)」という用語だ。本土(中枢)からあまりにも離れた「辺境」の島。そこで「事件」は起こった。1948年。日付にそくして「四・三事件」とも通称される。
後代からみて、無謀な冒険主義的蜂起が犠牲を拡げた、という解釈は成り立つかもしれない。しかし、それによって、人口24万の土地での死者3万、という数字を説明しきれるものではない。
朝鮮戦争が勃発するのは、その二年後。
朝鮮半島における植民地解放闘争は、もちろん他の地域と同様なのだが、その土地と歴史に特有の特殊さをおびていた。にもかかわらず、現代史のなかの事象として、一個の普遍的典型性を刻んでもいただろう。
大幅に省略していえば、李承晩支配の構造はその後も、米日との同盟に支えられ、長くながくつづく(在日朝鮮人の状況はそこに規定される)。80年代の初頭におこった「光州事件」に、その末期の継続をみることができよう。
クーデターによって軍事独裁体制を堅持した政権(そして、それを支持した米日政権)が、「済州島事件」を恥部として秘匿しつづけることは当然だった。
『火山島』は、光州事態の起こった数年後、日本語の文芸誌に連載されはじめた。全七巻としてまとまったのは1997年である。
その完成によって金石範の『火山島』世界は終わったのではない。通常の文学作品であれば、完成は完結であり、書物として終了する。だが『火山島』は、植民地支配の歴史を逆立的にまきもどした世界であり、通常の時間軸に準じる「幸福な完結」からは阻まれている。
わたしがそのことを否応なく知らされたのは、『火山島』完成以降なお20年に近くなる金石範の衰えをみせない強靭な創作行為の持続によってである。済州島には漢拏山を中心にして多くの側火山がある。その地勢にも似て、『火山島』を中心作品として、次つぎと側火山が噴火し、新たな作品を創出してくるのだった。
作者は、『火山島』完成後、ようやく済州島への「帰郷」を果たした。地下に埋まった死者の骨の砕け散る音に戦慄し、また、「事件」について沈黙しきる生き残りの人びとの言葉を喪った惨劇の闇に身震いする。完結から阻まれるというのは、そうした意味からでもある。
『火山島』世界の原点には、「虐殺の島」から大阪に逃れてきた同じ民族の同胞たち(彼らを政治亡命者あるいは難民と呼ぶのは間違いではあるまい)から聞き取った証言があった。日本国には、建前上、政治難民は存在しないけれど、在日コミュニティに同化していった少数の者は、紛れもない難民だったといえるのではないか。いや、こうした戦後在日社会のしたたかな可変性こそ、何よりも、彼らのうちに「清算されない植民地支配の時間」が変わらず流れつづけていることの、雄弁な証左であると思えるのだ。
これまで、金石範は、在日朝鮮人文学という大枠で読まれてきた。そのことは誤りではないにしても、まったく不充分だった。彼を、占領下の日本に漂着した「一人の亡命文学者」と捉えることが要請されているのではないか。
GHQ資料室 占領を知るための名著・第7回 2016.01.15更新
参考
中村一成『ルポ 思想としての朝鮮籍』岩波書店 2017.01
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