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世界のムラカミ、カフカ賞の次は

世界のムラカミ、カフカ賞の次は

 村上春樹が第六回フランツ・カフカ賞を受賞した。カフカの名を冠され、カフカの小説「流刑地にて」を図書館で読む十五歳の家出少年の物語『海辺のカフカ』は、こうしてカフカづくめの幸福な環を閉じたのである。マスコミ嫌いといわれる人気作家が報道陣へのサービスに努めたと、好意的なニュースも目立った。オーストリアのイェリネスク、イギリスのピンターと、過去のカフカ賞作家は連続してノーベル文学賞を受けている。世界のハルキへの来年度の期待が高まるのも当然だろう。

 期待度に関してコメントを求められた村上は例によって「賞ナニするものぞ」というクールなポーズを決めてみせたが、それを証明するかのように、次の新刊では翻訳家としての才能をアピールすることになった。それもモノは「六十歳になったら翻訳したい」と公言してきた『グレート・ギャツビー』である。新書普及版と豪華愛蔵版とが同時発売されたこの書物は、「訳したくて訳したくてたまらなかった」という翻訳者のオーラを強烈に放っている。スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』は、村上がデビュー以来たえず身近に熱く語ってきた特別の作品だ。とりわけ初期の村上にとって、フィッツジェラルドの煌めくような喪失感の世界は、カート・ヴォネガット流のシニカルなスタイル、レイモンド・チャンドラー流の気取った感傷ともども、きわめて顕著な影響項目だった。

 翻訳家としての村上が「しばしば原著をそのグレード以上に引き上げる」達成を示す――とはよくいわれる説だ。村上訳だから「売れる」という現実はあるにしても、村上訳が原著を超えるというのは真実なのだろうか。村上の『グレート・ギャツビー』礼讃は一定の困惑をもって遇されてきたと思える。高名で魅惑的ではあっても、すでに忘れ去られても不思議でない「古典」小説。偉大さとも荘重さとも無縁で、「キュートな」と形容することが最も適切であるような一九二〇年代文学。村上訳は、そのブランド力と、特別の思い入れによって彼の「古い友人〈オールド・スポート〉」たる作品を現代に蘇らせたのか。

 書誌的なことに少しふれておけば、当作品の翻訳は五十年前に二種刊行された。野崎孝訳『偉大なるギャツビー』と、大貫三郎訳『夢淡き青春』。一九七四年にロバート・レドフォード主演の映画公開があり、それを機に三種の異訳本が追加された。すべて映画タイトルと同じ、『華麗なるギャツビー』の書名。『夢淡き青春』も同タイトルに変更された。いずれもタイトルの「グレート」を日本語化することに梃子ずっている。グレートというすでに日本語化した言葉の意味が邪魔するのだ。作者が主人公ギャツビーを語るさいに鏤刻した幻惑的な文体と愛惜のヴェールは、たとえようもなく見事であるにしても、彼のキャラクターは禁酒法時代の成り上がり者にすぎない。無理にグレートと形容するとかえって滑稽になるたぐいの人物だ。作者が「グレート」に賭けた語感と読む側の受け取り様が、もともと掛け違っているようなのだ。

 そうしたことはさておき――。問題とすべきは、村上ギャツビーの達成という点だ。
 広告塔になることをおそれずにいってしまおう。――この翻訳によって初めて『グレート・ギャツビー』を読む者は幸運である、と。部分的な訳文の優劣とかいうレベルをこえて、作品全体には非合理なばかりの翻訳力パワーがみなぎっている。一期一会の作品というものは希少なのだ――それだけの意味でもこの「翻訳作品」の価値は揺るがないだろう。

 フィッツジェラルドにかぎらず、「二〇年代アメリカ作家」の臆面のなさとは、一つに、退屈な会話シーンを人間的普遍の光景として押しつけたがるところにあった。その種の「古典」を平均的な日本語翻訳を通して読むことは、それこそ、文学的教養コースの必須課目を修得しなければならないという義務感と結びついた場合、耐えがたい苦痛にいたるわけだ。ただいくつかの短編や『グレート・ギャツビー』『ラスト・タイクーン』に示されたフィッツジェラルドのスタイルは、凡庸な翻訳を通しても充分に光り輝く質のものだった。その意味で、村上版ギャツビーへの期待とは、部分的に流暢な日本語化がなされることによって全体的にもより洗練された「作品」になるだろうという予想だった。これは一般的な新訳への期待とほぼ変わらない。

 だが一般の尺度がそのまま当てはまらないことは、《僕が四十年以上にわたってこの小説を宝玉のようにいつくしんできた理由を、少しなりとも理解していただけたならと願う》という訳者あとがきからも明らかだ。これは不用意なほどに「正直な」心情吐露だ。翻訳行為の困難さを語ったものではなく、いわば翻訳しなければならなかった欲望を「告白」したものだ。この欲望は創作欲にかなり近い。
 「あとがき」はその直前に作品の冒頭と結末の《息を呑むほど素晴らしい》名調子にふれ、《告白するなら、冒頭と結末を思うように訳す自信がなかったからこそ、僕はこの小説の翻訳に二十年も手をつけずにきたのだ》という。ここまでいわれると「嘘ダロ」と突っこみを入れたくなるが、それはおいて。『グレート・ギャツビー』の結末の、とくに最後の一ページは、フィッツジェラルド(のみならずアメリカ文学)の最高の散文の一つだ。水をさすようで恐縮ながら、このパーツは、だれの翻訳日本語文を読んでも一定量の感動を与えうるのだという事実がある。原文力の力である。いってみれば、それこそが村上が自分の翻訳をつけ加えることによってこの作品を「私有」したかった理由だろう。

 評家によっては、またしても儀式のように、部分的な訳文を例示し、既訳と比較するような論評の仕方を選ぶだろう。そうした方法が有効と思われるところがないではない。たとえば第六章の一シーン、新書版では200ページ。深夜にわたるギャツビーのパーティ。ふとよぎるアンニュイと疲労感。真夜中の午前三時を歌うフィッツジェラルドにはおなじみのメロディが流れて、「そこに何がひそんでいたのか、何が起ころうとしていたのか」という語り手の感慨が挿入されている。原文は「?」つきの短い疑問文が連打され、次に長いセンテンスの「受け」がつづく。村上訳はこの部分を二文に分け、やはり疑問形に置き換えている。原文は形としては疑問形になっていないが、意味の流れは明らかに反問である。既訳は文の語尾を「だろう」とか「かもしれない」と流しているが、ここは疑問形にした村上訳が絶対にいい。作者が招待しようとする情感にしたがうなら、これしかないと思える日本語になっている。

 ここで話題を変えて、一般的な新訳という問題を考えてみよう。広く読み継がれるべきでありながら、何かと敬遠される「世界文学の名作」。名作離れという現象は「文学の危機」とかいったおなじみの嘆きにつながる。書店で目についた某文庫の『カラマーゾフの兄弟』の帯には《上巻読むのに四ヶ月、一気に三日で中下巻》とあった。なかなか大胆なキャッチコピーだと思ったら、さにあらず、これは二十代のさる新進作家のエッセイの抜粋だった。なるほど教養主義へのコンプレックスとは無縁の昨今の若者世代に古典の権威などは鬱陶しいだけだし、説教したって「愛国心の押しつけ」と同様にしかならないだろう。「古典読むべし」はもう正しい日本語ではないようだ。引き合いに出した文庫版は伝統ある旧訳。この原著は、ドストエフスキー論の新アプローチを刊行した気鋭の評論家による新訳が刊行されている。別種の古典だが、日本有数のナボコフ研究者による『ロリータ』新訳も実現した。この二例は、最もその書物にこだわる者による新訳であり、村上版ギャツビーと同じ流れにある。名作の新訳リニューアルは出版界の目立たない静かな動きだが、今後さらに活発になってくるだろう。

 さて話をふたたび世界のハルキにもどす。カフカ賞受賞に先立って、「研究本」刊行が2006年には目立った。人気だけでなく、評論家受けの良さも特質なのだ。だがそうした翼賛風潮とはまるで逆に、『海辺のカフカ』を現行日本の歴史忘却・思考停止・歴史否認の国民的傾向に正当化気分を与える「困ったベストセラー」と批判する書物もあった。小森陽一『村上春樹論』(平凡社新書)である。この本の思考を単純化するとそれこそ困った事態になるので、興味のある方は現物にぜひとも当たっていただきたい、というにとどめる。一作品を精緻に読むことの評論力を信頼させる論考である。溢れかえる「ハルキ本」が撒き散らす批評行為の放棄と比べてみたまえ。村上カフカを「癒し・救い」として享受した読者にたいしての渾身のメッセージがそこにある。

 次の村上の仕事は、懸案のもう一つ、チャンドラー『ロング・グッドバイ』の新訳であると街のウワサである。

06.12.16

文体からわかるように、これは依頼原稿。
しかし某誌は直前になってボツにしたのである。
その理由についてはいまだ明らかにしないままだ。
某誌はボツではなく、「預からせていただく」という奇怪な論理をタテにとっている。
なお、こういう依頼原稿を「預かって」プールするやり方は同誌の方針であるそうな。
よくやるよ。

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